小野路の歴史
◎中世~江戸時代
室町時代(14世紀~16世紀)より小野路(小野地、小野池とも)の名が見られるほどその歴史は古く、古典能のひとつである「横山(室町時代成立、観阿弥・世阿弥作)」は、小野路が舞台となっています。
地名の由来は諸説あります。地名の小野牧、かっての領主である小野氏、あるいは小野郷(現在の府中市付近)への通り道だったなど様々です。
鎌倉時代に整備された鎌倉古道が町内を通っており、新田義貞も鎌倉攻めのときに小野路を通ったと言われています。江戸時代(17世紀)には徳川家康の遺櫃(いひつ)を駿河の国から日光へ運ぶ途中、小野路の地を通りました。
各方面から来る街道(大山道、神奈川道、府田道、府中道、八王子道)の分岐点となっていたため、もともと交通の要衝として宿駅が置かれ栄えましたが、大山詣でが隆盛した同じく江戸中期以降は大山街道沿いの宿場町として大いに賑わいました。
幕末には宿が6軒ほどあったと言われています。現在の「小野路宿里山交流館」は旅籠「角屋」があった場所にあります。
町内には創建千年を超えると言われる「小野神社」や、12世紀築城と推定される「小野路城址」、小野小町が目を洗ったという伝承の「小町池」など、歴史とロマンを感じさせるスポットも多く、散策にはもってこいの地域です。
◎幕末~現代
先述のように、小野路は5街道が集まる重要な場所であり、周辺の村の中心地でした。1827年(文政年間)には周辺34ケ村組合村の寄場(中心的な村)となり、1875年(明治8年)からは角屋に郵便局が置かれました。
1891年(明治24年)には登記所も開設されています。郵便局は現在大蔵町に移転して「鶴川郵便局」となり、登記所は町田に移管されその跡地は現在「小野路公会堂」となっています。
小野路村には5人の名主がいましたが、幕末には名主の小島家・橋本家に近藤勇がしばしば剣術指南に訪れています。「小島資料館」には近藤勇関連の資料の他、小野路の生活誌に関連する資料も多くあります。
1868年(明治元年)小野路村は神奈川県の管轄に入り「神奈川県武蔵野国多摩郡小野路村」となりますが、その後1893年(明治26年)には東京府に移管されました。
1958年(昭和33年)には町田市施行にともない、「東京都町田市小野路町」となり現在に至ります。
2004年(平成16年)には「小野路宿通り街づくり協議会」が発足し、東京都・町田市・地元と協議の結果、交通渋滞の解消のための道路拡幅と歴史景観の再生を両立させる街づくりで一致、現在の宿通りが整備されました。
里山100選にも選ばれ、豊かな自然が多く残る周辺は「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されています。